スタンフォードでの学業を終えると、パーキンソンはかつての上司のいるレティコンという新しい企業に入り、そこで二年間、イメージ・センサーの開発システムの設計にあたりました。
センサーは本来ロボットや制御機用の電子の目となるものである(マイクロンも後に類似の製品を売出すことになる)。
しかし彼はどうしても半導体コンポーネントの仕事、チップの仕事に戻りたかった。
1974年、機会があってフェニックスのモトローラに移った。
そこで彼は運命的というのか否応なしというのか、半導体メモリーの設計の仕事に集中することになりました。
1979年、彼はこの製品の将来は酸化金属半導体(MOS)だと考えました。
この単純な設計方式はやがて業界で優位を占めることになります。
だが、MOSメモリー技術を習得するためにはそれを彼に教えてくれる会社や技術グループにもう一度移らなければならないと彼は思った。